【プロフィール】
昭和31年8月17日 生まれ
昭和50年3月 岐阜県立関高等学校卒業
昭和54年3月 愛知大学卒業
昭和54年4月 関市農協(現JAめぐみの) 入組 津保川支店長
平成15年4月 関市議会議員初当選、2期務める
平成21年1月 岐阜県議会議員初当選、連続3回当選
農林、教育警察、企画経済、総務 各委員会委員長等を歴任
平成31年4月 岐阜県議会議員落選
【現職】
岐阜県軟式野球連盟 関市支部長
中濃納稅貯蓄組合連合会 相談役
JAめぐみの中濃地域運営委員会 委員長
関市テニス協会 会長
関市バドミントン協会 相談役
関市農業改良組合 富岡支部長
関市営農推進協議会 富岡支部長
関市北後耐震消火隊 隊長
関市平賀町3丁目自治会 相談役
就労支援継続支援A型事業所 DAI 相談役
【政治家を目指したその思い】
小学生の時、私の隣の席はいつも転校生でした。先生からは「かおる君は人の面倒みがいいから」と言われました。私もその頃、気軽に誰とでも話す事が出来、何の不満もありませんでしたので、困っている人の役に立てれば、嬉しい事だと思いました。
社会人になって、すぐ当時の関市交通安全協会高岡支部長から「富岡支部青年部長を引き受けてくれ」と言われ、初めて組織の一員としてボランティアに参加しました。私のような者でも人の役に立つ事に気分がさわやかになり、嬉しく感じました。両親からは、「人に迷惑かけるな、感謝の心を忘れるな」とよく言われました。困った人、経済的に豊かでない人、障害者など弱者のために自分が出来る事は何でも行なおうと思うようになった原点でした。
その後、地元富岡地区(肥田瀬、鋳物師屋、宮地、平賀など)には8年間、関市議会議員がいませんでした。市議がいない地区は道路改修や水田の用水路修理、防犯灯など地区からの要望は、関市は全く聞いてくれませんでした。このような事から、「この富岡から市議を出そう」という声がたくさんあがり、その白羽の矢が私にあたりました。全く政治とは縁のない家系ですし、家内はじめ家族も皆びっくりしました。
子育ての最中で、JA中濃に勤務しており仕事も楽しく、仲間も沢山おり、毎日有意義に過ごしていました。しかし、両親を含め、先祖もこの地区の皆さんに大変お世話になり、こんな私のような人間に市議になれと言ってくださる皆さんには感謝しかありませんでした。
家内はもちろんですが、当時入院していた、脳梗塞で半身不随の父親に相談しました。絶対に反対すると思いましたが、「皆さんのために市識として働いたらいい!」と言ってくれました。そして、家内、家族も了解してくれましたので、これで市議になると決意しました。皆さんに迷惑かける事が多いから本当に感謝しています。
政治家とは、おおまかに言えば、志を高くもち、皆さんへの奉仕者であり、オーケストラの指揮者のように皆さんをまとめて行く立場です。困っている人、経済的に豊かでない人、障害者の人など社会における弱者をしっかり支えていく事、そして、だれひとり外れる事なく皆んながお互いを理解し、「協同社会」を築いていかなければなりません。皆さん全ての人が、それぞれの立場で幸せな暮らしをずっと続けて行ける社会を作る責任が政治家にあります。
志を高く、しっかり政策を作り、皆さんのいつも身近で気さくな政治家として、「酒向かおる」は日々精進いたします。